世界経済における国際通貨の意義

戦後の国際通貨体制

 1944年、アメリカのブレトン=ウッズで開かれた国際通貨金融会議で、第二次世界大戦後の国際通貨金融を秩序づけた国際通貨基金(IMF)協定と国際復興開発銀行(IBRD)協定が結ばれた。
これらの協定は、各国が協力体制をとることによって、第二次世界大戦前の為替(為替相場)切り上げ競争の再来を防止し、貿易の拡大を通して各国の生活水準の向上と完全雇用の実現をはかろうとするものである。
この体制をブレトン=ウッズ体制(IMF体制)という。国際通貨基金は、為替相場の安定を維持するために、国際収支の短期的な赤字加盟国への資金の融資を目的としている。
国際復興開発銀行(世界銀行)の目的は、戦災国の復興と加盟国の経済開発であったが、現在は発展途上国の経済的・社会的開発に融資することを任務とするようになった。

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国際通貨制度の変容

 ブレトン=ウッズ体制は、強大なアメリカの経済力を背景にして、金との交換を保証したドルを基軸通貨とする固定相場制であった。しかし、西欧諸国や日本が経済力を増すにつれて、アメリカ経済の地位が相対的に低下してきた。
その結果、多くのドルが海外に流出し、ドル不安が深刻化した。
1971年8月、アメリカはドル防衛緊急対策を発表し、金とドルの交換停止と10%の輸入課徴金の実施などの措置をとった(ニクソン・ショック)。
このため、従来の固定相場制は事実上崩壊した。同年12月、スミソニアン合意が成立したが、為替市場は混乱し、1973年に、主要国は全面的に変動相場制に移行した。
 この変化に対応するため、国際通貨基金協定の第2次改正(キングストン合意)がおこなわれ、1978年4月に発効した。この結果、各国は変動相場制を含む為替相場制を自由に採用できることになった。また、金の公定価格を廃止すること、SDRを国際通貨制度の中心的な準備資産とすることなどが決定した。
変動相場制の下での為替相場は、長期的には各国のファンダメンタルズ(経済的基礎条件)が相場の決定に重要な役割を果たすが、短期的には投機的な資本移動が国際金融市場をかく乱する場合があり、為替相場の日々の変動を高める要因となる。
1985年9月、G5の協議によってプラザ合意が成立し、各国が協調して為替市場に介入し、ドル高をドル安へ誘導することとなった。それから約2年間にわたり、円高・ドル安が急激に進んだ。
その後のG7の協議も、為替相場の形成に大きな影響を及ぼしている。

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経済通貨統合

 ヨーロッパでは、EU加盟国の間で経済通貨統合を目的として、欧州通貨単位(ECU)を中心とした域内通過の固定相場制である欧州通貨制度(EMS)が設立されている。EMSにおいてめざそうとしている欧州中央銀行の設立と通貨統合は、「一つの通貨、一つの金融政策」という国際通貨制度の究極的な姿である。
欧州通貨単位(ECU)
EMSの運営において利用されている通貨単位である。ECUの価値はEMSに加盟している国の通貨すべてから計算される
欧州通貨制度(EMS)
1979年3月に発足し、イギリス・イタリア・ギリシア・スウェーデン・フィンランドを除くEU10カ国で実施されている。
この制度は、域内通貨の間では固定相場制をとり、為替相場を安定させようとするもので、従来の共同フロート(共同変動相場制)を拡大し、改善したものである。

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